忍者ブログ
  • 2024.02
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2024.04
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/03/29 05:17 】 |
blogの移行
02bc1831.JPG なんの仕打ちかはわかりませんが、先月末辺りから、今まで「KTG」編集blogとして使用していたblogにログインできなくなり、同じNINJA TOOLS内で再度、「編集blog」を復活させました。

幸い、投稿記事は3件のみだったので、サルベージも問題なく行えて・・・・・・でもなんだか腹立たしさは収まらないという調子。でも、ひとまずは『KTG』Vol.1の編集作業は、一応順調です。『KTG』用のロゴも作りました(酔っぱらって)、家で。

表紙案(まだ細かな文字が入ってなかったり、表紙に論考名や執筆者名をいれるかどうか、随時検討中) もできたので、次の投稿で投稿しておこうかと云々。文学フリマでのブース配置も決まって、校正作業も修羅場という感じですが、責任編集を謳う鈴木、頑張ります。次号は一人でも良いから、校正スタッフが増えると良いな。













PR
【2010/11/19 02:16 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
『KTG』関連の近況
 12月の文学フリマに向けて、創意編集作業や構想を準備中です。いまひとまずは、第一号に向けて、原稿の到着を待ちながら、8月から編集チームに加わった.review関連の作業や、『新文学』さんの新刊用の原稿を作成しております。

第一号では、特集としてマンガ学に関するものを数本の他、旧Kulturtriebの原稿のリファイン、ついでに文学論や書物論、演劇/パフォーマンス論 辺りを収録予定。.自身がreviewや『新文学』に関わっていることもありますが、両誌との棲み分けを考えるうえでも、『KTG』は若手に機会を提供す る「場」というよりも、オモロイことをオモロク語りまる、変なメディアを目指しますが、雑多な情報を集めつつも、『ぴあ』的な量重視のカタログ誌ではな く、各論考や掲載情報、そしてインデペンデント・メディアならではの「オアソビ」も濃密な感じでやっていくので、無事に第一号がお披露目された際は、特殊 進化してしまった新興媒体として、キッチュに消費して頂ければなんて思っております。

本格的な編集作業は10月辺りに激化していきますが、ひとまずは文学フリマの申込みを忘れずにやらなければ、なんて調子でワタワタしてます。

編集チーム、論考は随時募集しているので、「こんなことが書きたいYO!」、「こんな案はどう?」なんてのがあれば、お気軽にお寄せ下さい。、論考の完成まで、色々とアドバイスやお手伝いをさせて頂きます。

【2010/11/19 02:08 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
『KTG』について
Kulturetrieb-G(KTG)
 
KTG』は「文化」あるいは「表象文化」の批評を中心とした同人誌です。「表象文化」とひとくちにいえど、それが対象にするものは広範囲に及ぶため、乱暴にいえば「何でももあり」なので、各自の文化衝動[Kulturtrieb]を刺激されるものが、自ずと論ずるテーマとなります。

 ひとまずの方針としては、マンガ、アニメーション、映画、文学、ジェンダー、クィア、演劇、倫理思想、身体パフォーマンス辺りを随時カヴァーできていけれ ばと思っておりますが、他分野との相乗効果や学際的な立場を重視して行きたいので、様々な専門、様々な興味を持つ方の参加をお待ちしています。

 原稿募集等は、随時告知を出すのでそちらをご参照ください。ちなみに、『KTG』の前身である『Kulturtrieb』は、2005年~2007年頃にかけて、鈴木真吾が有志を募って製作していた同人誌(幾つかの異版のある私家版が私的に配布されて凍結)であります。

 かれこれ、紙媒体で何か評論をまとめたい! という衝動[Trieb]に突き動かされたのはもう5年も前のことで、和光大学大学院の修士課程に入〈院〉して半年ほど経った頃でした。衝動に突き動かされる余り、下記のような「テーゼ」をぶちあげて(それにしても、なんとも衝動に満ちた青臭いく、拙いテーゼであることか!)おりました。

 鈴木自身は2010年の初頭から、若手が中心となる新興媒体(特に.reviewとの関わりは、旧『KT』に「G がついて復活する契機となりました)に関わってきました。自分の関わっている媒体を巻きこんで何か面白いことをやるには、自分もひとつの媒体(御輿)を 作って、新しい波たる「祭り」に参加しなければという衝動に突き動かされ、どうにか学習院に拠点を置くことが出来たので、彼岸に埋葬した不義の子を呼び戻 しての再出発となりました。
 
「テーゼ」(2005
文化、その混沌たるエスは、様々な論者によって、様々な時代において。また、様々な形で論じられてきた。ジーグムント・フロイトは文化を<>として。即ち、身体の拡張もしくは転換の可能性を我々に寵愛しうる義体〔Protehesen〕として定義づけた。

 我々は自らを覆い、時にはアイデンティティを<装う>ものとして機能し、また時には自らを定義し、他者との差別化を促し、そして我々自身をも苦悩させる可能性を持っている様々な現象――すなわち、我々のハードコアを貫くことのない強さを持った外的刺激に晒され続ける中で、我々が無意識に、時には意識的に身につけてきた<>を批評する者たちである。

 無意識に、または意識的に<>を身にまとい・まとわされる者たちよ。自らを取り巻き、そして自らを抑圧し、時には誘惑せしめんとする、その<>が何なのかという点を意識し、定義付けを行いたいという欲求を持ちたくはないだろうか?

 我々は手助けを行うだろう。そういった欲求を持つ者たちに対して。しかしながら、そういった欲求を持たない者たち。様々な事物に問題関心を持たない者たちにとっては、我々の生産する数々の思想・評論・思考体系が有益に機能することはない。

 我々の論考は、一つの答えを出すかもしれない。しかし、その答えが読者諸 氏、すなわち問題関心を持つ者たちにとって最良の物であるという確証はない。我々は、生産せしめた思想・批評・思考体系の数々が読者諸氏にとって、最良に して唯一の性を持つ解答として読み解かれることを期待してはいない。また、それを目的としているわけでもない。

 本書に収められている様々な論考を裁き、使い、批評し、記憶せしめるのは、オーディエンスたる諸君である。我々は望んでいる。決して万人に向けたものでは ないが、我々の打ち出した思想・評論・思考体系が、オーディエンスたちを微力ながらに啓蒙し、啓蒙されたものたちがそれぞれの問題関心に対して、更なる取 り組みや批評を行い、また、同じ問題関心を持つ他のものたちに対する啓蒙を行えることを。

 
 なんて青書きを、前述のように、5年前に書きました。12月の文学フリマでお披露目予定の『KTG』では、5年前の残骸の死亡告知を、宮武外骨のようにやってしまうか(ただし新聞広告ではなく自らの媒体で)なんてキッカイな案もありますが、ひとまずは5年前のように、くだくだと「それっぽい言葉」を並べ立てることはいたしません。『KTG』に向けての「テーゼ」はもう決まっています。
 
「読んで読んで読みまくれ! 書いて書いて書きまくれ! 文化衝動の赴くままに!」

とまぁ、5年のスパンをおいて、シェイプアップしたのか、野性的な直感に頼るようになったのかは、定かではありませんが、何か面白いことをやりたい! と いう意識を脳髄に充満させての再出発であるがゆえ、まだまだ張りぼてのような頼りのない御輿でありますが、面白いと思ってくださった方は、ぜひとも KTG』に関わって頂ければと思います。
 
 
 

【2010/11/19 02:06 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
表象文化研究会について

学習院大学表象文化研究会(表文研)について

 表文研は、学習院大学 大学院 人文科学研究科 身体表象文化学専攻 博士課程後期 鈴木真吾が取りまとめを務める自主団体です。主な活動としては月例の自主ゼミ、文化評論を主体とした同人誌『Kulturtrieb-G』の発刊等。

 自主的な勉強会と、同人誌の発行を中心とした小規模な研究会ではありますが、学内外、学部・院・学科、大学生以外の方も積極的に活動に参加して頂ければと思います。

 週例の定期的な活動はありませんが、勉強会の企画案、活動のコラボレーション等、ご連絡を頂ければ、様々な形で協力していきたいと思っているので、何か面白いことをやりたいという方がいましたら、お気軽にご連絡下さい。


鈴木真吾(doxa666@gmail.com)

【2010/11/19 02:05 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<前ページ | ホーム |